経 歴 書
ミ タ カツ ヒサ
氏 名 三 田 勝 久
昭和34年9月20日 生まれ 血液型 0型 おとめ座
東京都渋谷区の日赤病院で生まれる
昭和40年 東深沢小学校
卓球部に所属。しかし、今でも温泉卓球は変わらず
昭和46年 東深沢中学校
電気クラブに所属。秋葉原のジャンク屋に部品をよく買いました
昭和49年 都立玉川高校
高校合併により、今は廃校になりました。残念
卒業後は、クリーニング屋、営業の仕事など社会人となる
法律に興味を持ち、一念発起して大学受験をする
昭和59年 神奈川大学 法学部 法律学科卒業
衆議院議員・中馬こうき国会事務所に入所
昭和61年 衆議院選挙で中馬代議士が落選する
中馬のオヤジさんについて、大阪で一人暮らしを始める
平成2年 衆議院選挙で再び当選。リベンジ選挙を果たす
中馬代議士の公設第一秘書となり、国会と大阪の行き来をする
平成8年 衆議院の選挙区が変わり、港区と出会う
平成11年 港区選出の大阪府議会議員・河原かんじ先生から、府議会議員に挑戦するように要請される。
河原先生は社会党、私は自民党で悩みました
結果は、500票差で落選となる
捲土重来を期し、港区を走り回りました
平成15年 大阪府議会議員に初当選
当時の土木部から、大阪の地図をもらい説明を受けるが、大阪市は真っ白。聞くと、大阪市は治外法権だからとの説明。
所属委員会を選ぶとき、大阪市内の府議会議員は商工労働委員会か警察委員会しかないと感じた。この時に、二重行政の存在を知る。商工労働委員会に所属。初めての質問は「りそな銀行への公的資金注入に係る問題」について
3年連続して、商工労働委員会副委員長を務める
平成19年 2期目当選
決算特別委員長に就任
水道統合PT長。橋下知事と平松市長と府市一体の水道を目指す
庁舎移転PT長。大阪府庁をWTCに移転を目指す
平成23年 3期目当選
商工労働委員長に就任
平成24年 大阪府監査委員に就任
平成25年 府議会議員団 副幹事長に就任
日本維新の会 広報局長に就任
平成27年 4期目当選
平成28年 府議会議員団 総務会長に就任
平成29年 日本維新の会 総務会長代行に就任
2025年万博誘致特別委員会 委員
平成30年 大阪維新の会 府議会議員団 代表に就任
日本維新の会 常任役員
大阪維新の会 副代表に就任
令和元年 5期目当選
第112代 大阪府議会議長に就任
港区では、初めての府議会議長となりました。ご支援くださった皆様に感謝申し上げます。
即位の礼、G20サミット、ラグビーワールドカップなど貴重な体験をしました。
令和2年 関西広域連合議会議員に就任
政治理念
「子供たちには夢や希望を、働く方々には安定を、お年を召した方には安心を」
政策
「大阪の発展は港から」 ベイエリアの発展が大阪経済の起爆剤となります。 好きな言葉「百歩尚百歩」 止まることなく更なる高みを望む
信条
「不易流行」 改めるものは改め、変えてはならないものは護る